サンプラザ中野くんwikiプロフィール
本名:中野 裕貴(なかの ひろたか)1960年8月15日、山梨県甲府市生まれ。千葉県育ち。
早稲田大学在学中、2年間のアマチュアバンド活動を経て、1984年に爆風スランプのヴォーカルサンプラザ中野として活動開始。シングル「週刊東京少女A」でメジャーデビュー。
2008年1月からはアーティスト名に「くん」をつけて、活動している。
霊感の強い友人から“くん”を付けた方がいいと言われ改名を発表した。
果たして改名の効果があったのかどうかは謎。
サンプラザ中野くんの若い頃はどんな人?
1988年自ら作詞した「Runner」は、天才・たけしの元気が出るテレビの挿入歌に使用され大ヒット。
その年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たしています。
その後も「月光」「リゾ・ラバ」「大きな玉ねぎの下で はるかなる想い」と立て続けにヒットを記録。
1990年以降は、個々のメンバーがソロ活動を始めるようになり、1999年4月、活動休止を発表。
解散宣言は一度もせず、デビュー40周年目の2024年に25年振りに再始動し、新曲発表&10月末ライブツアー決定。
爆風スランプの「RUNNER」は、昭和の名曲ですが、スキンベッドとサングラスのおかげなのか、サンプラザ中野くんの見た目はほとんど変化ないように思えます。
どのように歩んでこられたのかも気になるところ、もっと深く彼の姿に迫ってみましょう。
多才すぎるエピソード4選!
路線変更で大ヒット
デビュー曲名「週刊東京少女A」を見ただけで正統派バンドではないことが想像つきますが、デビュー当時は、コミックバンド的な扱いで、ちょっと変な曲や面白い曲で勝負していたとのこと。
面白い曲で勝負していたが、売れないと意味がないと、路線変更で「RUNNER」を製作。それが大当たり。
路線変更できたということは、そもそも彼らの音楽的才能は優れていたに違いない。
オールナイトニッポンで大人気
「RUNNER」がヒットする前の1985年から2年半、中野さんはオールナイトニッポン金曜深夜1部を担当してました。
中野さんの金曜日は、とにかく“聴取者参加型”。イベントが多かった。私は実際に行ったりハガキを出したりすることはなかったけど、聞いてるだけでも一緒に参加してる気分になれました。中野さんもスタッフの方々も参加するリスナー達も、とにかくみんな一生懸命。みんなでバカなことやったり、真面目に問題に取り組んだり、悩んだり、笑ったり。その姿はなぜか全て「感動」という形になって伝わってきたのです。
引用 「ラジオ・パラダイス 87年10月号/三才ブックス」
バンド活動が注目される前から中野さんは既にラジオのリスナーの間ではとっても人気だったんですね。コミックバンドとして培ったトーク力や人を楽しませる能力が発揮できた場がオールナイトニッポンだったんでしょうね。
ボードゲームの考案者
1992年『テンペスト』というボードゲーを考案し、エポック社から発売した。これは4人同時対戦ができるリバーシゲームで、箱には「考案者」として中野さんの写真が印刷されている。
このボードゲームは、4人でできるオセロのようなものらしい。
アマゾンでも販売中です、とっても気になります。
作詞家として活躍
1998年から1999年にかけ、パッパラー河合さん(爆風スランプのメンバー)とともに女性デュオ・YURIMARのほぼ全曲の楽曲提供をした。
YURIMARI=ASAYANオーディションで最初に合格した中村友理と伊澤真理のデュオ
中野さんのお得意分野のコミックソングを提供。ユニゾンで歌うという異色なデュオ。
デビュー曲名がとってもかわいい「スーパースター☆ハムスター」
中野さんのマルチな才能は色んな分野で発揮されています。
まとめ
2024年は爆風スランプ結成40年目で、63歳の中野さんにとってチャレンジングな再活動の年。
今後もさらに走り続ける姿を楽しみにしたいと思います。
多才な中野さん、新しい分野への挑戦も期待です。
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