久保田早紀(くぼた さき)さんと言えば「異邦人」名曲中の名曲。正式な曲名は「異邦人-シルクロードのテーマ-」です。1979年に発売されたデビューシングル、インパクトのある中東風なメロディーで、当時はカラーテレビのコマーシャルソングとしても起用されました。
色んな方がカバーで歌っており、70-80年代の名曲歌番組では必ずと言っていいほど歌われる曲です。
1984年に芸能界を引退しているので、若い方はご存じないでしょうが、異邦人を歌っていたころの久保田早紀さんは、神秘的な美しい容姿とピアノの弾き語りでとっても魅力的でした。
今回は、彼女の若い頃の美人画像と、現在の職業音楽宣教師について調べてみました。
【画像】久保田早紀の若い頃が美人!
デビュー当時21歳です。大人っぽいですね。
中東風なメロディーとピアノの弾き語りという見た事のないスタイルで魅惑的でした。
ファッションはお嬢様風だったんですね。知性を感じます。
透明感のある清楚な感じの美人ですよねー。
久保田早紀の若い頃が美人とSNSで話題!
初めて久保田早紀さんを見た方にとってはあまりの美人度に驚いた方もいたようです。
異邦人以外の曲はほとんど知られていないんですが、他にも埋もれた名曲ありそうです。
文学的な歌詞に高い歌唱力、おまけにルックスも良し!どれをとっても凄く完成度の高い作品です。
久保田早紀は現在は何をしているのか調査!
異邦人の大ヒットで一躍注目される存在となった久保田早紀さんでしたが、本人はメディアに出て歌う事やアイドルのように扱われる事に対して苦手意識があったようです。
作家として曲を作ることは好きだったが、常に中東のイメージが強く「今日はラクダで来てないの?」等煩わしい質問も多くあったようです。毎回こんなジョークだと嫌になりますよね。
「『異邦人』で有名になったとき、私の音楽のルーツって何なんだろう? 本当の自分はどこにあるんだろう? 久保田早紀と久保田小百合の間に大きな溝ができていました。それを埋めてくれたのが、教会の音楽だったと思います。私の中で、どこかで“心のゆりかご”のような大切な音楽でした」
引用先:日刊spa
1981年にはカリフォルニアのイメージのシングル「オレンジ・エアメール・スペシャル」を発表されていますが、異邦人以上のヒットには恵まれず、音楽家の久米大作さんとの結婚をきっかけとして1984年芸能界を引退しています。
引退した年に、めじろ台のキリスト教会でプロテスタントのバプテスマ(浸礼での洗礼)を受け、その後クリスチャンの音楽宣教師として、本名の久米小百合(くめ さゆり)で音楽活動などを開始。
現在は、各地のキリスト教会などで教会音楽とアートを融合させたコンサートや、講演会、交流会を開催。
時折、テレビやラジオ番組のゲスト出演もされています。
音楽宣教師はというのは、
まさに音楽を通してバイブルの福音を伝える仕事。聖歌や讃美歌はもちろん、コンテンポラリーな音楽で、キリスト教を親しみやすいものにし、気軽に教会へ足を運んでもらうべく、そのハードルを下げる役割もある。
最近は、オリーブオイルのソムリエやアドバイザー、ハーブブレンドクリエイターの資格を取得され、カフェなどで勉強会を開催されているようです。今後老人施設等にも伺い色んなイベントが出来るように考えられている様子。
久保田早紀のプロフィール
- 芸名:久保田 早紀(くぼた さき)
- 本名:久米 小百合(くめ さゆり、旧姓:久保田(くぼた)
- 生年月日:1958年5月11日
- 出身地:東京都国立市
- 学歴:共立女子短期大学文学科卒
- 家族:夫:久米大作、長男
- 日本のキリスト教音楽家、日本バプテスト連盟加盟教会の教会員
- 職業:シンガーソングライター、音楽宣教師
因みにデビュー曲「異邦人」は久保田早紀さんの作詞作曲ですが、実家から大学へ中央線で通う間に浮かんできたようです。八王子付近や国立付近で出来たという事です。
当時、父親が仕事でイランに出張に行っており現地の曲のカセットテープがお土産だったそう。中近東独特のそれらの音楽を聴いていたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながったのでしょう。
1970年代後半の時はジュディ・オングさんの『魅せられて』、庄野真代さんの『飛んでイスタンブール』、などオリエンタルな雰囲気の音楽が大ブームでした。このブームにデビュー出来た事も「異邦人」が140万を超える大ヒットに繋がった要因でもあるでしょうね。
久保田早紀の経歴
Time | History |
1962年 4歳 | 母親の意向でクラシックピアノを習い始める |
小学校高学年 | 日本のフォークソングや歌謡曲、ビートルズなどを好んで聴き演奏するように |
1972年 13歳 | 同級生男子3人組「ガロ」のコピーバンドを始めると、キーボード担当として誘われ、 文化祭などで演奏を披露した。 |
1978年 20歳 | 母親が探してきた「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募 募集要項に「自作自演可」とあったので、カセットテープと楽譜を送る 一次審査は合格し、二次審査は水着審査だったが辞退、その代わり弾き語りを披露 そこでディレクターの金子文枝に出会う |
1979年 21歳 | 金子氏の指導のお蔭もあり、「異邦人」が認められ、 三洋電機がタイアップに付いてデビューが決まる |
1981年 23歳 | ポップな曲調のシングル「オレンジ・エアメール・スペシャル」を発売 「キリンオレンジ」のCMにも採用された |
1984年 26歳 | 久保田早紀としてはもう十分に活動した、との思いもあり結婚を機に引退 |
引退後は音楽宣教師として第二の道を歩まれていますが、異邦人のヒットは今の活動にも役に立っているとの事。
「すべての人が歌を歌えることって、神様から与えられているギフトだと思っています。教会で歌えるのは、神様へ『どうもありがとう』という感謝のつもりで歌っています。もしも、歌好きの還暦を過ぎたおばさんが、歌が好きだから歌わせて、と言っても誰も聞いてくれないと思います。『異邦人』を歌っていた久保田早紀だから、聴きに来てくれると思います。ですから、デビューしたことが、いまの仕事に大きな力になっています」
引用元:月刊spa
26歳という若さで芸能界を卒業し、本名の久米小百合さんとして歩む事を決意されています。
やり切ったと思ったらさっさと手放し次へ進む。潔い性格の方なんでしょうね。
まとめ
「異邦人」が名曲として聴かれ続ける限り、久保田早紀さんも検索される続ける事でしょう。
中森明菜さんや徳永英明さんなど多くの有名ミュージシャンが「異邦人」をカバーしており、色んなアレンジもあるので、カバーの聴き比べも楽しめそうです。
そして現在の久保田早紀さん(久米小百合さん)とは、どこかの教会のイベントで会える機会があるかもしれませんね。
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