中園ミホさんと言えば、「ハケンの品格」「Doctor-X 外科医・大門未知子」「花子とアン」など、数々の大ヒットドラマを生み出した人気脚本家。
現在放送中のNHK連続ドラマ小説「あんぱん」でも、感動的なシーンが多く描かれており、脚本の良さが際立っています。
そんな中園ミホさんの経歴を調べるととってもユニークで多才。
という事で、今回は中園ミホさんの生い立ちや経歴を調査してみました。
【画像】中園ミホの生い立ちと経歴を調査!

中園ミホさんは28歳でドラマ『ニュータウン仮分署』脚本家デビュー。
『ニュータウン仮分署』
「東多摩警察署」の捜査課に所属する刑事たちの活躍を描く人情派刑事ドラマ。
主演に岩城滉一、若手刑事に清水宏次朗をキャストしたにも関わらず、人情ほんわか路線のドラマだった。
脚本家で脚光を浴びる前の中園ミホさんはどんな生い立ちだったのでしょうか?
中園ミホの生い立ち

中園ミホはさん、東京・中野区で、父・弘光さんと母・緑さんとの間に次女として生まれました。
両親は共に九州の出身。住んでいたのは「4畳半と3畳ぐらいの」、大正時代の古いアパートだったそうです。
父は、朝日新聞社で仕事をするフリーのカメラマンだったが、辞めて無職に近い状態になっていたので、母親が働いて家族を養っていたとの事。
母親は、女性週刊誌のフリー記者、その後は生命保険会社の外交員をしていたようです。
父は無類の酒好きで、昼間から飲んだ。夜は父の友人である画家や音楽家たちが家に集まり、酒を酌み交わして芸術論を戦わせるなど、アカデミックな環境だったという。
父親が職を持たず飲んだくれていると聞けば、家庭はやさぐれていきそうなものだが、そうならなかったのは、両親の仲がすこぶるよかったからだろうと中園は言う。
「普通なら愛想をつかすのでしょうが、母は父に惚れていたし、恋愛の匂いを色濃く感じさせる親でした。母は美しい人で、男と女には、嫉妬とかいろんなものを含めた感情があるのだと、早くに知ってしまったようなところがあった」
引用先:婦人公論
決して恵まれた環境でなかったが、両親のお陰で卑屈にはならなかったようです。
その後、親戚の世話で、母がある会社の独身寮の寮母として働き出し、一家は川崎へと移り住みます。
中園ミホさん10歳の時、父親は42歳の若さで逝去。理由は、過度の飲酒による肝硬変。
それから10年後中園ミホさん20歳の時、母も末期がんのため、45歳という若さで亡くなります。
中園ミホは強いファザコンだった
両親を若い時期に亡くしているので、中園ミホさんは強いファザコンでもあり、マザコンでもあったようです。
感受性が強く精神的に早熟だった中園ミホさんは、10代半ばから奔放な恋愛を繰り返すように。
満たされぬものを埋めるかのように、二回りも三回りも年上の男たちを愛したそうです。
「……きっと、父を求めていたのでしょうね」
日本大学付属高校から大学まで一緒だった友人の木村宙は、中園をよく知る人物である。
「学内では、ひときわ個性が強く大物感が漂っていて、いずれ世に出る人だと思っていました。会話に大人のユーモアがあって、サガンや向田邦子の小説を好んで読んでいましたね。恋も多い人で、好きになったら決してあきらめない。でも相手に頼るのではなくて凜々しいんです」
引用先:婦人公論
中園ミホさんの20代は丁度バブル時代、スマートにエスコートしてくれる年上との恋愛は、秘密めいた大人の世界を経験できていたのかもしれませんね。
広告代理店勤務から雀荘の店員

写真は20代のころの中園ミホさんでしょうか? キリっとした目力が魅力的。
大学卒業後、広告代理店に就職されています。
「まともにコピーもとれず、お茶汲みは下手、酒好きで飲んだくれては朝から酒臭い、使えないOLだった」中園は、1年ほどで退社し、新橋の雀荘の店員やコピーライターのアルバイトをするが、いずれも続かなかった。
引用先:婦人公論
お酒好きは、お父さんからの遺伝でしょうか? アルバイト先もなんだか夜の世界で、意外なイメージです。
この頃は、品行方正な生活より、ちょっと危なめの生活が魅力に映っていたのかも?
若いってそういう事ですよねー。
占い師としても活動していた!
実は、占い師としての一面もある中園ミホさん。皆さんもオンラインで占ってもらえるんです。

中園ミホさんの母親の友人に今村宇太子さんという高名な数気学の占い師がおり、14歳から師事しているという筋金入りの占い師。
今村宇太子さん:気学や四柱推命をベースに、今村さんご自分で開発された数気学がご専門
中園ミホさん、若い頃は、占いで結構稼げていたというのです。
広告代理店を辞めてアルバイトをしていた時期に、他に手に職のなかった中園ミホさんは今村先生のアシスタントとして働くことになったとの事。
時には先生の代わりにお客さんへ鑑定もしていたようです。
「私のことを言い当てられたのがきっかけで興味を持ったんです。けっこうな収入になって、競馬場に行っては、帰りは帝国ホテルの鮨屋に乗りこんで(笑)。占い師をやってよかったのは、世の中のさまざまな人の裏の顔が見られたことですね。企業の社長が弱みを見せたり、母親の話で泣いたりする。人間ってチャーミングだなと思えた。この経験は確実に今の仕事に生きています」
引用先:婦人公論
そして、人気脚本家となった今でも、占いの仕事も本業としてされているんですよ。
脚本家になったのも、つらいことを乗り越える時も自分を鼓舞する時も、占いをフルで人生に役立ててきたそうです。
脚本家デビューのきっかけ
中園ミホさん、26歳の時、年上のある脚本家に激しく恋をし、失恋した事がきっかけで、脚本へ興味をもつように。
「自分よりも大切な存在ができるって、生物として危機的なことじゃないですか。これまでの恋愛は何だったのかと思わされた。でも『つきまとうな』と捨てられたんです」
ここで中園は思いがけぬ行動に出る。「せめて彼を感じていたい」と国会図書館に1年ほど通い、彼の脚本のすべてを書き写したのだ。
「その時、脚本というものの構造に気づいて、いきなり人生の扉が開いた感じでした。今度はがぜん、脚本そのものが面白くなったんです」
引用先:婦人公論
また、広告代理店を退職後、コピーライターや占い師などの職業を経験する中で、偶然知り合った脚本家の田中陽造さんの清書係を務めることに。
その後、同じく脚本家の桃井章さんと知り合い、彼の妻の世話をするなど親しくなり、これらも脚本家になるきっかけの一つとなったようです。
これらの経緯を経て、1988年にドラマ『ニュータウン仮分署』で脚本家としてデビュー!
脚本家と知り合える環境に居たってことも大きいですが、中園ミホさん自身にも魅力があったからですよね。
出会えた縁、そこから繋がり更に道を広げていく力は素晴らしい!
中園ミホのプロフィール

- 本名:中園美保
- 生年月日:1959年7月16日
- 出身地: 東京都中野区
- 日本大学芸術学部放送学科卒業
- 2010年度から日本大学芸術学部客員教授を務める
中園ミホさんのエネルギーの源は、いつも恋愛だそう。
「今も恋愛中ですよ、私。出逢うべき人とは、早い、遅いでなく出逢うべき時に逢ってしまう。どうしようもないものなんです。恋愛をしていないと高揚感がなくて、書くエネルギーが湧いてこないです」
引用先:婦人公論
何歳であろうとも恋愛体質って、ちょっとうらやましいです。
まとめ
中園ミホさん、面白い経歴と生き方でしたね。
流石、脚本家!自らの人生経験も豊富で、ユニークに飛んでいて、ステキ。
おまけに占いで人生を切り開いたという占い師でもあります。
私も中園ミホさんの占いで占ってみる事にします!!さてどんな結果なのか?
コメント