【画像】島田歌穂は音楽一家だった!ロビンちゃんから芸大の教授になるまでの経歴を調査!

島田歌穂(しまだ かほ)さんと言えば、私たち50代世代には『ロボコン』でヒロインのロビンちゃん役が有名。

ポンコツなロボコンを優しく元気づけてくれるバレエの妖精、私も夢中になって毎週見ていました。

1987年には、ミュージカル『レ・ミゼラブル』日本初演でエポニーヌ役を好演。

実は、島田歌穂さんは音楽一家に生まれたサラブレッド、そして1994年にご結婚されたお相手はピアニストで作曲・編曲家・プロデューサーの島健(しま けん)さんなんです。音楽家家族の歴史はこうやって紡がれていくんですね。

今回は島田歌穂さんの音楽一家を深堀、そしてロビンちゃんから現在の活躍にも迫ってみました。

目次

【画像】島田歌穂は音楽一家だった!

祖母はモダンガール

祖母は山崎春子さんで、明治40年生まれでした。心不全のため2008年に他界。享年100歳。

関東大震災で九死に一生を得、駆け落ちや離婚、職業婦人など波乱万丈な人生を送った方で、孫である島田歌穂さんの著書、私の祖母は「101歳のお嬢さま」で読む事が出来ます。

出版直前で101歳の誕生日の3日前に死去されたので、本のタイトルは101歳なんですね。

島田歌穂さんの出演舞台やコンサートに姿を見せており、95歳でNY見物もされました。“名物おばあちゃん”として知られていたようです。

ニューヨークへ連れて行ったことを一番の思い出としており、「飛行機がどれだけ揺れても、“関東大震災に比べればたいしたことない”と言われた」と振り返っています。

父は音楽家、母はジャズ歌手

島田歌穂さんは1963年9月19日生まれ。

音楽家の父・島田敬穂さんと、宝塚歌劇団出身でジャズ歌手の母・筑波嶺玲子(別名:丹波礼子)さんとの間に誕生しました。

4歳のときに西野バレエ団でバレエを習い始め、そして同時にピアノも始めています。

両親の影響で音楽が常に家のなかにあふれていました。母は私がおなかにいる時にもステージで歌っていたので、いわゆる胎教で母が歌うジャズを聴いていたんです。また、父が家でボイストレーナーとして歌を教えていたので、気がついたら英語の歌を耳で聞いたまま真似して歌っているような子どもでした。そして4歳でバレエを習い始めました。バレエの稽古も大好きで、休まずに通っていました。物心ついたころから私は歌ったり踊ったりすることが大好きな子供だったんです。
 

引用先:人間学科共通科目「人間学」講演

音楽一家の環境で育った島田歌穂さん、ミュージカルスターになるべくしてなったという事ですね。

残念ながら、ミュージカルスターとして『レ・ミゼラブル』をやっている最中、1990 年にはお母さまが肺がんで他界、1998 年にはお父様が心不全で他界されています。

島田歌穂さんは一人っ子、祖母の春子さんの方が両親より長生きされたので、祖母の春子さんとの絆が強かったのでしょうね。

人生の伴侶も音楽家

ご両親との別れを立て続けに経験された島田歌穂さんですが、その間には人生の伴侶となるお相手との出会いもありました。

その相手は、島健(しま けん)さん作曲家、編曲家、プロデューサー、ピアニストであります。

島健さんも音楽一家に生まれた経歴を持っています。

タンゴピアニストの父の影響でピアノを始め、20代の頃からスタジオ・ミュージシャンとして活動。

その後はジャズピアニストとしてアメリカで世界のトップアーティストと共演、日本国内では2000年に弦編曲を手掛けたサザンオールスターズの「TSUNAMI」がミリオンヒットを記録しています。

島田歌穂さんのファーストアルバムのピアニストが島健さん。これがきっかけで恋愛に発展したのでしょうか?

なんと、島健さんのお父さんが初めてプロとして演奏したバンドが島田歌穂さんの祖父のバンドだったという縁もあり、運命の巡り合わせですね。

ロビンちゃんから芸大の教授になるまでの経歴を調査!

ロボコンの憧れロビンちゃん

1974年、島田歌穂さんは、特撮テレビドラマ『がんばれ!! ロボコン』の憧れのマドンナであるロビンちゃんの役で芸能界デビュー。

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ロボコン:ロボット学校に通うG級ロボット・ロボコンは、常に失敗ばかりでガンツ先生に怒鳴られてばかり。しかし、それを乗り越えてA級ロボットに成長するための努力を惜しまない。そんなロボコンをはじめ、個性豊かなロボットたちが人間社会に派遣され、世のため人のために働きながら一人前のロボットに成長していく過程を描く。

アイドル歌手へ転向

1981年、当時高校生の島田歌穂さんは「マンガチック・ロマンス」という曲でアイドルデビューをしました。

松田聖子ちゃんの聖子ちゃんカットが大ブームだった頃、アイドルの多くはこの髪型だった記憶があります。

アイドルで活動を始めるも、なかなか売れず、この世界向いてないのかも?と感じていたようです。

ミュージカル女優へ挑戦

アイドル活動で悶々とした日々があったようですが、小さい頃から憧れていたミュージカルへ挑戦する事を決意。

1982年にミュージカル『シンデレラ』のオーデションへ挑戦、300人の候補者から見事にシンデレラ役を獲得!

舞台初日から自分の居場所を見つけた気持ちになったようで、この日に舞台女優への決意。

舞台女優として起動に乗るまでにはレッスンが欠かせない、しかし費用は安くなく、バイトをしながら実績を積んでいったとの事。

『レ・ミゼルブル』のオーディションに合格

1986 年には、ヴィクトル・ユゴーの代表作でミュージカルの『レ・ミゼラブル』エポニーヌ役のオーディションへ。

3000人以上の応募者がありましたが、今までの実績と実力が認められ、見事に役を勝ち取ります!

この作品をきっかけに芸術選奨文部大臣新人賞を受賞、NHKの音楽番組にレギュラーで出演、紅白歌合戦にも 2 年連続で出場。

名声共にミュージカルスターを手にします。

『レ・ミゼラブル』エポニーヌ役は、1987年から2001年まで島田歌穂さんが14年間演じていました。

大阪芸術大学の教授へ

2003年、大阪芸術大学から「歌の授業をやってみませんか?」と声がかかります。

実は、お父様もミュージカル俳優を目指す人たちへ歌を教えていたようで、その時の父親を思い出すと嬉しそうだった姿が蘇ったそう。

もしかしてこの話は父親の気持ちを引き継ぐ事なのかもしれないと思い、承諾する事に。

2003年4月から大阪芸術大学舞台芸術学科ミュージカルコースで副教授に就任、2007年からは教授に就任して教鞭をとっています。

プロのミュージカルスターから直に教えてもらえるなんて羨ましいです。

まとめ

島田歌穂さんが音楽一家に生まれていた事は知りませんでしたが、幼い頃にロビンちゃんを見た時から、何か特別な魅力があるなと感じていました。

ロビンちゃんの役には子供だけど包容力があったんですよね。

この記事を書くにあたって色々と調べましたが、私は個人的にお祖母さんの人生にとっても興味が湧きました。

明治の女性にもこんなに勇敢な方がいたんですね。NHK朝ドラに出てきそうな人生ではないですか。

島田歌穂さんのパワフルさはきっとお祖母さん譲りですね。これからの活躍に注目したいと思います!

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