【画像】杉山清貴の若い頃がイケメンと噂!現在の姿と比べてみた!

杉山清貴

2020年代以降、韓国人音楽プロデューサーNight tempoが火付け役となり世界的なムーブメントとなったジャパニーズ・シティポップ。

その代表とも言えるのが、杉山清貴&オメガトライブだ。

私はずっとオメガドライブだと勘違いしていたが、トライブ=共通の興味・関心やライフスタイルを持った集団のことだった。

2024年デビュー40周年を迎える彼らの音楽が再注目を浴びている。

今回は杉山清貴の若い頃に注目していきたいと思う。

目次

【画像】杉山清貴の若い頃がイケメンと噂!

【画像】杉山清貴の若い頃はイケメンだった

杉山清貴
https://twitter.com/nikkor_kan/status/1766708620727878027

現代の若者も杉山清貴さんのファッションに憧れをもってる方がいるんですね。個人的には全然ダサくないと思います。

SpotifyなどのストリーミングサービスやYouTubeなどで聴ける環境だからこそ、リスナーの年齢層や国籍、そして新しい古いという概念も無くなってきているのだろう。

どうやらファッションプロデュースされていた可能性もある。杉山清貴&オメガトライブのプロデューサーが海やダイビングが好きだらしい。

雑誌『POPEYE』などの影響で、特にアメリカンカジュアルが人気、杉山清貴のファッションはリゾート感あふれる麻のスーツとスリッポンが定番のスタイルだった。

杉山清貴のプロフィール

杉山 清貴(すぎやま きよたか、1959年7月17日- )

横浜市磯子区出身、横浜市立岡村中学校、横須賀学院高等学校卒業

シンガーソングライター(主に作曲担当)身長167cm、血液型AB型

趣味はボディボードで、1990年から2006年の約15年間、ハワイで音楽生活

今は鎌倉在住

杉山清貴

1980年代を代表する夏バンドといえば、サザンオールスターズ、TUBE, そして杉山清貴とオメガトライブだった

なかでも杉山清貴の心地よい透き通る歌声は他の2つのバンドとは異なり、海沿いをドライブする時に聞きたい曲だった。目を閉じて聞くと一瞬でウェストコーストに行けた。

今聞いても全く色褪せていない、華やかで洒落たサウンドだ。

杉山清貴&オメガトライブ

杉山清貴高校卒業後ボーカルとするアマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」で活動していたが、ヤマハのディレクターの誘いで、1979年ヤマハポピュラーソングコンテストの秋の大会に出場。

因みにそのときのグランプリは「大都会」を歌ったクリスタル・キング。

その頃は新しいバンドの青田買いの時代で、コンテストに出ていたら、僕たちに目をつけていて後に所属することになるトライアングル・プロダクションの社長、藤田浩一氏に誘われ、指定の楽曲(林哲司/康珍化/秋元康)とプロの演奏による作品を条件にデビューすることを承諾しました。83年の「SUMMER SUSPICION」がデビュー作品になります。

引用先:ONTOMO

デビューの条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示、バンドはこれを受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と名を変えた。

レコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示、エンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐に渡っており、全ての最終決定権はプロダクションの社長、藤田浩一氏にあった。

メンバー

  • 杉山清貴(ボーカル)
  • 高島信二(ギター)
  • 大島孝夫(ベース)
  • 西原俊次(キーボード)
  • 廣石恵一(ドラムス、現クレイジーケンバンド)
  • 吉田健二(ギター、1985年に脱退、現XANADU PROMINENCE ROCK ORCHESTRA)
杉山清貴

プロデビューが自分たちの作った楽曲ではなく、プロからの楽曲提供だったのはある意味ラッキーだったのかも。

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しかも凄い3人(林哲司/康珍化/秋元康)からの楽曲。

活動歴

1983年『SUMMER SUSPICION』でレコードデビュー

1984年『君のハートはマリンブルー』

1985年『ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-』『サイレンスがいっぱい』などがある。

1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散。

2年8か月で解散。こんな短い活動期間だったとは驚きです。

自分たちのバンドというより、プロジェクトの一員として活動をしていたようです。

解散後は杉山清貴さんはソロとして歌手活動をされています。

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杉山清貴の若い頃と現在の姿と比べてみた!

杉山清貴

Spotify経由で杉山清貴さんの楽曲を聴いている国別リスナーは、アメリカが1位。以下、日本、インドネシア、メキシコ、カナダと続き、北米、アジアを含めて世界全域で高い支持を得ている。

中でも特に20代に聴かれてるそうで、SNSやYOUTUBE経由でもリスナーから直接杉山清貴さん宛てへメッセージが送られるそうだ。40年前であればファンレター送ってたなと思うと、凄い世の中になったとじみじみ思う。

ロサンゼルス在住の杉山清貴さんの娘からも「ダディの名前、有名だよ」「オメガトライブ、みんな聴いてる」と言われて嬉しい驚きを隠せない様子。

思い起こせば、40年前の彼らの音楽は、日本の歌謡っぽい音楽ではなく洋楽っぽいメロディーだったな思う。

こんなメロディー初めて!というくらい新鮮で衝撃的だった。

でも一番の魅力は杉山清貴さんのボーカル、昔も今も杉山清貴さんの澄んだ声は健在のようだ。

昔のかっこいい姿も良いが、今の親しみやすい笑顔も素敵である。

杉山清貴の現在の活動

2023年4月にデビュー40周年を迎え、オメガトライブ40周年プロジェクトの一環で、全アルバムのリミックスがリリースされた。

2024年4月現在、大規模な全国ツアー『-FIRST FINALE TOUR 2024-“LIVE EMOTION”』を公演中

ファイナルツアー”と銘打たれたこのツアーの注目度は非常に高く、各地ですでにソールドアウト続出中

https://twitter.com/ameri79665872/status/1782193278328484050
https://twitter.com/Cleopatras11o3/status/1780800923608203688
杉山清貴&オメガトライブ

前述したように昨今は80年代のシティポップがDJ界隈で人気で世界中でお宝探しのようになっている。

思い返せば80年代は、日本の音楽業界は作りたいものを贅沢にそして自由に作れる環境にあったのかもしれない。

40年後にシティポップというジャンルが誕生するなんて思ってなかったと思うが、結局は昔も今も「良いものは良い!」永遠に変わらない。変わった事と言えば、世界中の様々な人たちに知ってもらえる機会が増えた事だけ。

杉山清貴&オメガトライブ、ファイナルツアーと言わず何度も何度も復活し世界中のファンを増やして欲しいと願う。

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