パリ五輪の自転車BMXレーシングで金メダルを獲得した榊原爽(さかきばら さや)さん。
日本人の名前のようですが、父はイギリス人で母は日本人のハーフです!
しかし、パリオリンピックではオーストラリア代表としてご活躍されていました!
多様なバックグラウンドを持つ彼女、そして兄もBMXの選手で東京五輪を目指していた選手です。
今回の金メダル獲得までの道のりには色々とドラマがあったようです。
という事で、榊原爽さんの兄や、経歴について調べてみました。
【画像】榊原爽の金メダルは兄への贈り物!
父がイギリス人、母が日本人で、豪州代表の榊原爽選手が悲願のパリ五輪の頂点に立ちました!
榊原爽選手がBMXを始めたきっかけは、4歳年上の兄、魁(かい)さん。
お兄さんが楽しそうに自転車を操る姿に憧れ、榊原爽選手も惹かれたようです。
「私がBMXを始めたのは、兄(魁 / かい)の影響です。兄はBMXに夢中でした。兄を見ながら育った私は、彼がやっていることならなんでもやってみたいと思ったのです」
引用先:redbull
榊原魁さんはオーストラリア代表としてBMXの国際大会に出場する実力のある選手。
東京五輪への出場も目指していました。
兄の榊原魁がレース中に転倒
そんな矢先の2020年2月、BMXレーシングUCIワールドカップでレース中に転倒し、ドクターヘリで運ばれました。
一時意識不明となり半身麻痺となる大けがを負ってしまいます。
事故当時の榊原魁さんは23歳、持ち前の体力と不屈の精神で徐々に回復の兆しが見られるように。
そして榊原爽選手と両親の3人でローテーションを組み、兄の魁さんの見舞いに行くように。
目の前には常に生命力に溢れる兄の姿があったそうです。
「毎回、行く度に魁が変わっているんです。しゃべる様子もどんどんスムーズになって、リハビリでも『こんなこともできるんだ!』と、見るたびに驚かされました」
引用先:number
榊原爽選手と兄の魁さんは、プロのレーサーとして海外遠征に行くようになってからも常に二人でサポートしあい、お互いを高めていった同志でもあります。
レースの際には兄の分も走っているという心意気で常に臨んでいるようです。
パリ五輪でも兄の魁さんが付けていた77番のゼッケンを背負って戦いました。
そして見事に念願の金メダルを獲得!大きな兄への贈り物になった事は間違いありません。
父はイギリス人で豪州生まれ府中育ち!
父はイギリス人で母は日本人
榊原爽選手はイギリス人の父マーティンさんと日本人の母由紀さんの間にオーストラリア・ゴールドコーストで生まれました。
母の由紀さんはワーキングホリデーでオーストラリアへ、日本語教師として働いているときに父のマーティンさんと出会ったそうです。
榊原爽選手は2歳から6年間東京都府中市で過ごしており、日本語は流暢に話すそうですよ。
2007年榊原爽選手が8歳の時からは、家族でオーストラリアへ引っ越しをしています。
五輪出場は、オーストラリア、イギリス、日本の中から、選べたようですが、オーストラリア代表を選択されました。
榊原爽のプロフィール
- 名前:榊原 爽(さかきばら さや)
- 生年月日:1999年8月23日
- 出身地:オーストラリア ゴールドコースト
- 出身校:キラウィハイスクール
- 国籍:オーストラリア
お気に入りの日本の漫画は、『のだめカンタービレ』や『SLAM DUNK』だそう。
のだめとは共通点も多いとか。『SLAM DUNK』では、キャプテンのゴリが好きだそう。
日本の漫画も結構詳しそうです。
榊原爽の出場試合と成績
兄の影響で4歳からBMXを始め、2006年、6歳の時初めて世界選手権大会に出場。
世界選手権で5度の優勝を果たし、2016年には世界トップのメダリストも出場するワールド杯のプロクラスで、初出場ながら2位を獲得し、世界を驚かせました。
試合と成績 | |
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2008年 | BMX世界選手権優勝 |
2010年 | BMX世界選手権優勝 |
2013年 | BMX世界選手権優勝 |
2014年 | BMX世界選手権優勝 |
2015年 | BMX世界選手権優勝 |
2016年 | UCI BMXワールド杯 ロックヒル大会2位 |
2017年 | オセアニア選手権優勝 |
オーストラリア選手権優勝 | |
BMX世界選手権2位 | |
2018年 | UCI BMXワールド杯 アルゼンチン大会優勝 |
2019年 | 東京2020オリンピックテストイベント「READY STEADY TOKYO-自転車競技 (BMXレーシング)」優勝 |
2023年 | UCI BMXワールド杯 トルコ大会優勝 |
2024年 | パリ2024オリンピック優勝 |
素晴らしい成績ですが、その陰には転倒や事故などの恐怖との闘いが常にあるようです。
恐怖に押しつぶされ引退しようと思った事もあったそう。
「 “引退しよう” という結論に至りました。ですが、日を追うごとに納得していない気持ちが大きくなっていきました。“まだやりきっていない。今やめるわけにはいかない。これは正しい決断ではない” と思うようになったのです」
引用先:redbull
恐怖を克服する一つの方法として、日記をつける事。文字に書き出す事でマインドセットをされているようです。
まとめ
榊原爽選手の金メダルへの道、お兄さんが大きな鍵になっていたようですね。
BMXは常に恐怖が潜んで切る競技ではありますが、その恐怖を克服した先には、自分を誇りに思う事が出来たでしょう。
榊原爽選手、今回のパリ五輪で精神的にもかなり成長されたと思いますので、これからの活躍にも注目したいです。
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